
佐々木 司
2026年1月6日19時4分、南極大陸最高峰ヴィンソン・マシフ(4892m)の山頂に立った。眼下に広がるのは雲海ではなく、どこまでも続く氷の大地。その中から山頂部分だけが突き出すようにいくつも山が顔を出している。これまで見てきたどの山とも異なる光景だった。
登山を続けるうちに、私は「8000m峰とはどんな世界なのか、登ってみたい」と思うようになった。そして2024年、ヒマラヤのマナスル(8163m)に登頂することができた。
その後、「次の目標は?」と聞かれる度に「南極大陸最高峰ヴィンソン・マシフに登りたい」と答えていた。南極はヒマラヤに比べて未知の多い世界で、本や映像でも触れる機会は多くない。いつか自分の目で見てみたいと思いながらも、費用や時間を考えると現実には遠い存在だった。
転機は突然訪れた。本来この遠征に参加するはずだった知人が、出発直前に不慮の事故で亡くなったのである。私の南極への思いを知る関係者から「志を継いで登らないか」と声をかけていただいた。ご遺族の承諾や海外エージェントの許可、資金の問題など簡単な話ではなかったが、挑戦を決意した。託された機会であり、同時に自分の夢への挑戦でもあった。
出発までは1ヵ月もなく、装備確認や手続き、仕事の調整に追われた。今回は初めて広く支援をお願いしたが、多くの応援が南極へ向かう背中を押してくれた。
12月26日、関西国際空港からロサンゼルス、サンティアゴを経てチリ最南端の街プンタ・アレーナスへ向かった。世界地図の端にある港町で、マゼラン海峡に面している。この時期の南半球は夏で、夜10時を過ぎても明るい。白夜の南極がすぐ近くにあることを感じた。
12月30日、南極へ向かう飛行機に搭乗した。約4時間後、機窓に白い大陸が現れた。大雪原を想像していたが、そこには黒い岩肌をのぞかせた山々が連なっていた。やがて機体はブルーアイスの滑走路に着陸した。外に出ると気温は-10℃ほど。身構えていたほど寒くはなかったが、足元の氷の大地が滑りやすく、歩くのに神経を使った。多くの方々の支えのおかげで、ついに南極の地に立った。
雪上車でユニオン・グレイシャー基地へ移動した。ここは南極活動の拠点で、食事やシャワー、Wi-Fiなど設備も整っている。
すぐにヴィンソンのベースキャンプへ移動する予定だったが、悪天候のため待機が続いた。元日の早朝、誰もいない静かな時間に南極の氷を溶かした水で書き初めをした。自然に翻弄されながらも、南極で新年を迎えられたことがうれしかった。
元日の午後、小型機でヴィンソンのBC(2140m)へ移動した。1月3日、穏やかな空の下で登山を開始。ソリを引きながらローキャンプ(2780m)へ向かう。強い日差しと照り返しで行動中は汗ばむが、空気は極度に乾燥しており、止まるとすぐ体温が奪われる。南極特有の環境だった。極点に近づくと大気は薄くなると聞いていたが、すでにこの高度でそれを感じていた。
ローキャンプで一日停滞した後、1月5日にハイキャンプ(3780m)へ向かった。ソリは残置し、100ℓザックに全ての装備を詰め込んだ。約45度の氷の斜面に張られた固定ロープをアッセンダーで登る。高度も上がり呼吸は荒くなる。約8時間かけて到着したハイキャンプは-30℃近い厳しい寒さだった。
1月6日、サミットプッシュの日。晴天微風という申し分ないコンディションだった。ハイキャンプに不要な装備を残し、必要最小限で出発する。緩やかな斜面を一定のリズムで進み、山頂直下では岩の露出した急登が現れた。そこを越えると視界が開け、緩やかな稜線の先に頂があった。
出発から約7時間半、ヴィンソン・マシフの山頂に立った。本来この山に挑むはずだった知人の帽子を手に写真を撮った後、その日のうちにハイキャンプまで下山した。
ヴィンソンは「比較的容易な山」と言われることもある。確かに登山期間は短く、危険箇所も多くはない。しかし私にとっては決して簡単な登山ではなかった。海外のメンバーとロープを結んで行動するのも初めてで、時には衝突もあったが、多くを学ぶ貴重な時間となった。
もう一つ、私の中には葛藤もあった。今回の遠征は「代わりに行く」という側面が強く、「これは誰のための登山なのか」と自問する気持ちがあった。山頂に立った瞬間もその思いは消えなかった。しかし下山しながら、南極に行くと決めたのは自分、そして南極で歩き、判断し、見て感じたことは紛れもなく自分自身の経験である。そう思えたとき、この登山は確かに自分の登山だったと思うことができた。
「次は南極、ヴィンソンに登りたい」と言い続けてきた。その言葉が今回の機会につながったのかもしれない。探検家の西堀榮三郎は「見果てぬ夢でも努力を続ければ、チャンスが来た時につかみ取れる」と語っている。
夢を持ち、口にしながら準備を続けていれば、その夢に手が届く瞬間が訪れる。今回の南極遠征で、私はそれを実感した。